高津原橋(熊野街道) 空堀商店街 300603

熊野街道は天満橋近くの旧淀川の大川沿いの渡辺津から始まる。
熊野詣する人は京都から淀川を下って渡辺津まで行く
天満橋の近くにあたる。
付近に坐摩神社行宮がある。
神功皇后が、新羅より、帰還の折、この地に坐摩神を奉斎され、当地にあった石の上に休息したという社伝があるようだ。

大阪府/歴史街道ウォーキングマップ

熊野街道(くまのかいどう)は、京から大坂を経て熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)への参詣に利用された街道の総称。 

 

 熊野街道は、摂津国渡辺津(窪津・国府津・高津・楼津ともいう。大阪市中央区天満橋京町付近)を起点に南下し、四天王寺(大阪市天王寺区)、住吉大社(大阪市住吉区)を経て、和泉国に入る。

京からは渡辺津までは淀川を舟で下った。
(ウィキペディア「熊野街道」

 
最近は、坐摩神と熊野に関係がある話多い。


長堀通りの谷町6丁目あたりから松屋町の高津原橋のあたりを歩いた。
そのあと、御堂筋を過ぎて、坐摩神社まで歩いた。

高津原橋

松屋町筋を北に向かって歩いて長堀通りとの交差点で、東を見ると、長堀通りをまたぐように、一見ビルの谷間から橋が出ているように見える橋があった。
「高津原橋」。
このあたりは、昔は谷のようになっていたのだろうか?と思う。
両側は切り立った崖で、道のところに川が流れていたのだろう。
橋もこのように高いところにあって、ビルから出ているように見えるのだと思う。

「高津原橋」

高津原橋

 長堀通は昔、川だった。長堀通りを少し西に歩くと、末吉橋があり、そこから長堀川となる。長堀通りと大きな交差点の名前に「橋」が付くのはそのためだろう。

今では、大阪市内の数少ない東西のメイン通り。
広いところでは、片側6車線に中央分離帯があって、そこそこ広い通りだ。

昭和の初めに埋め立てられた。埋め方が良くなかったようで、この通り地下鉄を通す時、色々な廃材やガラ出てきて工事は手間がかかったようだ。

 

高津原橋からの西(心斎橋方面)の写真を撮った。
高速道路の高架があるあたりが、末広橋。かつては、そこからが「長堀川」。
さらに西に行くと、「長堀橋」「心斎橋」「四ツ橋」、そして、「土佐稲荷神社」(かつての土佐藩邸、三菱の発祥地と言われる)の近くの「鰹座橋」、そして、木津川につながる。

高津原橋から長堀通

松屋町筋と長堀通りの交差点から「高津原橋」がある熊野街道にあがる階段がある。

大阪市を南北に横切る大きな通りは、
御堂筋を中心とすると、一本東は「堺筋」、その東が「松屋町筋」、その東が「谷町筋」、そして大阪城の近くの通る「上町筋」と続く。
「松屋町筋」までは平坦だが、「松屋町筋」と「谷町筋」の間の高低差はきつい。
「谷町筋」と「上町筋」は上町台地を通るので、標高が高いところを通っている。
大阪城は良いところにあるなと思った。
地図でこのあたり。「松屋町」駅の表示があるたりのところ。

   

 

 空堀商店街(からほりしょうてんがい)

長堀通りの少し南に、
その「谷町筋」と「松屋町筋」の間を結ぶようにある商店街がある。
「空堀(からほり)商店街」。谷町筋側入り口。

空堀商店街

入ったあたりは、平坦だが、途中から下り坂。写真では分かりにくいが、商店街の先の方方を見ると、下っているのがわかる。

空堀商店街

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大坂冬の陣後に埋め立てられた大坂城南惣構(みなみそうがまえ)堀の遺構である空堀通の西半分、松屋町筋から上町筋に至る中央区側の東西約800mのアーケード商店街。2009年(平成21年)3月には「新・がんばる商店街77選」に選ばれた。 (ウィキペディア「空堀商店街」より)

 秀吉のころの大阪城はこのあたりまであったということ。

 

 

   

 

松屋町(まつやまち まっちゃまち)

昔、「まっちゃまち〇〇屋」というフレーズのCMがあった。子供の頃よく耳にしていたので、松屋町は「まつやまち」ではなく「まっちゃまち」と呼んでいた。
「松屋町」このあたりは、「玩具」のお店が多い。
「ひな人形」は「五月人形」など、かつて、夏にこの辺りに来た時は、「花火」も売っていた。

松屋町通り(大阪)