観月橋 伏見2 300414

豊臣秀吉が作った二つの城。大阪城と伏見城を結ぶのは、宇治川と淀川。

その宇治川は唯一琵琶湖から流れ出ている川。琵琶湖から流れ出た時は瀬田川と呼ばれ京都に入ってところで宇治川になり、京都の南を通り、木津川、桂川と合流して淀川となり、新淀川や旧淀川では堂島川、大川、安治川となって大阪湾に流れ込む。

当時は宇治川は、伏見の南あたりで遊水池に流れ込んでいた。この遊水池は巨椋池と呼ばれていた。宇治川はこの辺りでは水深が浅かった。船の通行には支障があった。そこで秀吉は、大阪城と伏見城を結ぶために、堤を築き宇治川と巨椋池を分離し、宇治川の水深を増した。

巨椋池の中を縦断する小倉堤を造り、伏見城下から向島に宇治川を渡る豊後橋(現在の観月橋)を架橋し、堤上を通り伏見と奈良の距離を縮める大和街道を新たに造った。小倉堤は巨椋堤、太閤堤とも呼ばれた。豊後橋は宇治川上流にあった宇治橋を曳いて架けたため、宇治川右岸を通り宇治町を貫いていたそれまでの大和街道は断たれることになり、京都と奈良を結ぶ人の流れはおのずと伏見城下を通ることになった。 (ウィキペディア「巨椋池」より 

 

「豊後橋」は「観月橋」と言う「雅な」名前なった。

確かに方位からすると、満月の夜、「観月橋」から南に広がる巨椋池のあたりを望むと、月が水面映えて綺麗だったと思う。

行ってみた。

今の観月橋は当時の面影は全くない。

自動車と電車が行き交う交通の要所。騒々しいところだ。

当時は水路の要所だったかもしれない。大阪と結び船が出入りするあたりだっただろうから、同じ意味では当時と同じとも言える。

 

観月橋

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橋のたもとには、京阪電車宇治線の「観月橋」駅がある。

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駅前は、大きな交差点。交通量が多い。

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宇治川の土手に出るには、駅の下を通って行く。

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宇治川の堤防に出た。

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何百年も前この辺りは、巨椋池が広がっていたのかな。

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堤防から見える観月橋。

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