豊国廟(ほうこくびょう) H291125

ニ週間前、豊国廟に行こうとグーグルマップを頼りに歩いた。

その時は、通り過ぎたのか?豊国廟より北の渋谷通りに出てしまい阿弥陀ヶ峰の麓を4分の1周ぐらい回った。結局入り口がわからず、残念した。

あとで地図でちゃんと調べると、京都女子大の横の道を上がればまっすぐ上がることができた。

二週間前は南から上がって来たので、その道は京都女子大学の敷地と思い込み素通りした。

今回行ってみると、京都女子大学の敷地ではなかった。

二週間前、そこを曲がれば、行くことができた。

しかし、二週間前に、豊国廟に行けなくてよかった。

500段程度ある階段を上がっていく。

登ってみたが、相当きつかった。

あの時は、そこそこ歩いた後だったので、上まで上がれなかったかもしれない。

 

京都女子大の前あたりでガードマンの人に、この豊国廟へはこの道を上がっていけばよいのか確認した。

一瞬「えっ」という感じだったが。

丁寧に豊国廟のことを少し教えくれた。

そのとき教えてもらったのが、

秀吉さんは63歳で亡くなったので、階段は63段づつになっているということだった。合計500段ぐらいあるということも。

相当きついとうことだ。

 

「豊国廟」これを「とよくにびょう」とよんでいた。入り口の案内所で入場料ではないけれど保守とかで使われるように100円支払う。その時に言われた。

「ほうこくびょう」

京都にある「豊国神社」は「とよくにじんじゃ」、大阪城にある「豊国神社」は「ほうこくじんじゃ」と読む。

 

案内所で、登り下りで30分ほどかかるので、あとの予定大丈夫ですかとも聞かれた。

 

豊国廟は阿弥陀ヶ峰のほぼ山頂にある。下の写真で見える山は如阿弥陀ヶ峰。

登り口

木々に覆われた石の階段を上がっていく。昼でも薄暗い。

階段を数えながら段登った。63段でいったん終わり、

さらに続くこれが5セットあった。

 

↓登り切ったとったところ。 ここからまだ先に階段がある。

あとで聞いた話だが。

豊国廟は、家康により壊されたようだ。それから、再興されることなかった。明治になって、再興されることになった。200年以上も放置されていたので、このあたり一帯は山で、どこが秀吉の墓のあったところがわからず。推量で、今の場所につくることになったようだ。しかし、工事を進めていくうちに、上の写真あたりに秀吉の墓があったのがわかった。工事も進んでいるので変更できず。上の写真のようなものが建てられたとのこと。

 さらに上にあがる階段が見える。登りながら階段の段数を数えた。171段あった。

上がり切ると。

 

登るのもキツイが、降りるのも大変だ。登りで体力をつかっているので、降りるときは膝が笑ってしまい、こけはしないか、ちょっと不安だった。

登っている途中で、出会った人は下ってくる一人だけだった。

階段の数を計算してみた。

63段が5セットなので315段。それに171段を足すと486段になる。

ウィキペディアでは563段とあった。

豊国廟(ほうこくびょう)は豊臣秀吉墓所である。豊臣秀吉の死後間も無く作られた豊国廟は、現在の京都市東山区阿弥陀ヶ峰の太閤担(たいこうだいら)といわれる広場のところである。阿弥陀ヶ峰の中腹には秀吉を祀る豊国神社が創祀されていた[1]。建設当時の豊国廟は、豊臣秀吉の死後に徳川家康に破壊され、明治13年(1880年)に修築が行われるまで300年ほど放置されていた。現在の豊国廟は、拝殿から563段の石段を登ったところに墓所の大きな石塔が存在する。 (ウィキペディア「豊国廟」より)

 

地図では、下のほうにあるが、実際は「阿弥陀ケ峰」の頂上まであがる。