太閤塀と三十三間堂と養源院「鳳凰と麒麟は二羽と二匹で鳳凰、麒麟として描かれている?」と高瀬川と六条通り

京阪「七条」駅で降りて、

七条通を東、三十三間堂の手前で右折(南の方向)へ曲がった。

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三十三間堂の裏に出ると。

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太閤塀南大門

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この門は自動車などが通り普通の道路が通っている。

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三十三間堂の朱色の建物が見える。 

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三十三間堂の向かいに養源院がある。

ここには、血天井で有名だ。

関ヶ原の戦いの頃、伏見城を三成側から死守し、自刃した鳥居元忠以下将士の血の跡が残る伏見城の廊下の板をそのまま天井に使ったもの。

 関ヶ原戦いの話では、避けて通れない伏見城の籠城。確実に死ぬとわかって籠城する。どんな気持ちだっただろうかと思う。この籠城で死んだ人の家族は、徳川家康が厚く庇護したのだろう。この時代武士は、家系を大切にしたのかもしれない。自分が死んでも、家族が厚く庇護され、長く続くことを望んだのだろう。

養源院では、血天井やふすま絵や仏像名どの説明を定期的にしてくれた。

説明を受けて、天井を見ていると、鳥居元忠の顔やチョンマゲ、腕、足鎧などの血のりの跡が見えた。

そして興味深かったのは、

ここで描かれている鳳凰と麒麟は二羽と二匹で鳳凰、麒麟として描かれているとのことだと覚えている。

一般的には、鳳凰も麒麟も一羽一匹。

古い中国の絵には鳳凰が雄と雌で鳳凰として描かれている絵もあるようだ。

、4年経った今でも覚えていた。記憶違いでないと思うが。

(2021年7月6日、加筆)

 

 

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鴨川 七條大橋より。 

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高瀬川

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あと、六条通から、四条河原町まで歩いて、阪急電車で大阪へ。