★★★目次★★★
★★★★★★★
2月の初めに京都に行った。ちょうど中国の春節の頃で、通常なら京都は混雑しているはずだった。が、コロナウィルスのこともあって中国や海外からの観光客が減ったのだろう。それとも少し早かったからか、とても空いていた。 この日もいろいろとちょいちょいと見て回ったので、長くなったので、二回に分けた。前回の続き。
円山公園
八坂神社をお参りして、円山公園へ。
八坂神社と円山公園はつながっている。八坂神社の東(裏)から出ると、そこは円山公園だ。
円山公園も空いていた。桜もまだなので、季節要因もあるのかな。
しだれ桜も寒そうだった。
知恩院
知恩院前も静かだった。
三門。見る階段は男坂。そこそこ段差がある階段。
御影堂。4月から10月にかけて御影堂の落慶法要がある。立札も建っていた。これが大きい。写真の右端に人が写っている。それと比較すると大きさがわかると思う。
知恩院前の神宮通り、かつてはバスが行列をなしていたが、この日は見かけるバスの台数も、あの混雑した時とは比較にならないほど少なかった。
大谷本願寺故地
知恩院黒門を出て、少し三門の方に歩くと、元大谷の碑がある。ここは親鸞聖人の御廟所でもあって、本願寺の中興の祖蓮如上人の誕生の地でもあるようだ。
蓮如上人御誕生之地 碑
蓮如上人は、本願寺の中興の祖。衰えた本願寺を立て直した。山科に蓮如上人の像の跡や、蓮如上人往生の地など、本願寺にまつわる史跡ががあった。
親鸞聖人旧呉廟所
1262年(弘長2年)11月28日、親鸞入滅する。京都鳥部野北辺の「大谷」に葬られる。
1272年(文永9年、入滅から10年後)、東国にいる親鸞の弟子たちの協力を得た親鸞の娘覚信尼により、「大谷」から「吉水の北辺」に改葬し「大谷廟堂」が建立される。(ウィキペディア「大谷廟堂」より)
上記の「京都鳥部野北辺の「大谷」」とは、現在、大谷本廟のあるのところだろうか。大谷本廟の裏は、葬送の地の鳥辺野と言われた地のまま、谷を埋め尽くすように墓がぎっしりと並んでいる。
そして、「吉水」は親鸞聖人が師事した法然上人が教えを人々に伝えたところ。今の知恩院の「勢至堂」のあたり。この碑があるのは、知恩院の北の出口の黒門も横にあたる。
木屋町
三条大橋を渡り、三条通りを歩いた。高瀬川沿の木屋町通りの曲がり角に、簡易的に当時の木屋町の様子を紹介している看板があった。モノクロ写真ながら、当時の賑わいぶりが伺える。高瀬川も木屋町通りも今より広そうだ。
下の写真を見ると市電が写っている。木屋町にはかつて市電が走っていたようだ。二条まで上がり、東は蹴上、西は北野まで行っていたようだ。
新京極
新京極商店街も心なしか。
誓願寺
誓願寺(せいがんじ)は、京都市中京区新京極通にある寺院。浄土宗西山深草派の総本山である。本尊は阿弥陀如来、依拠の経典は浄土三部経である。新西国三十三箇所第15番札所。(ウィキペディア「誓願寺」より)
記事の最初にあった「清円寺」「晴明寺」の晴明像などは 「長仙院」にあると書かれていた。新京極近く近くの裏寺通りにあった。どうも民家のようで入ることができなかった。あらかじめ予約が必要なようだ。「長仙院」は「誓願寺」の塔頭ということで、「誓願寺に行った。この寺は新京極商店街にあった。
地図
動画
知恩院 三門から男坂
この日は、ゆっくりと散歩できた。いつまでもこんな状態でなく、コロナウィルスの問題が解決して、また以前のような混雑した京都にならないと、今の京都は維持できないかもしれないように思う。