六波羅
六波羅というと「六波羅蜜寺」がすぐ思い浮かぶ。
六波羅蜜寺 (ろくはらみつじ)は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観世音菩薩(十一面観音)。開基(創建)は空也。西国三十三所第17番札所。
本尊真言:おん まかきゃろにきゃ そわか(ウィキペディア「六波羅蜜寺」より)
ここ界隈には、エンマ大王に仕えたという小野篁の「六道珍皇寺」 がある。そして六道珍皇寺の近くには三途の川が流れていという話もある。このあたりは、あの世との境とと言う話があるのもうなずける。六道珍皇寺の前の松原通りを歩いていくと、清水寺に至る。清水寺に隣接して、大谷本廟の墓所がある。お墓で広大な谷が埋め尽くされているようだ。
六波羅の地名の由来は?
六波羅は鴨川東岸の五条大路から七条大路の一帯の地名。六波羅と少し変わった地名のような印象がある。なぜ「六波羅」と呼ばれるか?空也が951年に西光寺を創建し、後に中信が「六波羅蜜寺」と改名したことから「六波羅」と言われるようになったとウィキペディアにあった。では何故「六波羅」が出てきたのか?「六波羅蜜寺」の周辺は、六原、轆轤(ろくろ)と言う地名がある。
近くには送葬の地の鳥辺野があった。このあたりはあの世への入り口のように思われた時代があった。
当時は風葬が多かったようで、髑髏が点々をあったからの髑髏原といわれ、それが訛って「六波羅」「六原」「轆轤(ろくろ)」と言われるようになったのではないかという話がある。「髑髏(どくろ)」という地名は今はない。「碁盤の目には謎がいっぱい!ほんとうは怖い京都の地名散歩」という本に書かれていた。
松原通り(旧五条大路)から六波羅蜜寺に行く曲がり角に「六道の辻」の石碑がある。六道は仏教の「地獄道、畜生道、餓鬼道、修羅道、人道、天道」のこと。この六も関係あるのも知れない。
六波羅と武家政治
平安時代後半には、このあたりは平家の本拠地だった。平清盛の祖父の頃にこの地に一族の供養塔を建立した。その子の忠盛が「六波羅館」を置き、ここを武家の拠点した。正盛は、伊勢平氏の流れで、京都から伊勢など東国に街道に近い六波羅を拠点としたようだ。そして、忠盛も子、清盛の頃には平氏政権の拠点となった。平家滅亡後は、この土地は源氏に与えられ、ここに「六波羅探題」がおかれた。
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺には「平清盛公之塚」がある。
六波羅蜜寺には、広くない境内にいろいろな神様が本堂の周りにあった。
都七福神まいり
六波羅蜜寺は、都七福神まいりの弁財天。
2020年2月1日撮影
2023年12月30j日撮影。なんかすっきりししてきれいになった。
2023年6月18日。都七福神まいりのカラフルな旗もあった。