化野念仏寺 H291103

祇王寺を出て、さらに奥嵯峨野に足を進めた。進めるうちに人影は減っていった。しかし、人影が絶えることはない。レンタル自転車で走っている人もいた。
歩をすすめると徐々に道は緩いの登りになっていき、両側には土産物屋や食堂が並び始める。そして化野念仏寺が近づくと、道の様子が一変する。いままで、日当たりのよい道だったが、急に大きな木が道を覆うようになり、道はほんのり暗くなる。

道は徐々に薄暗くなっていった。

 

   

 

化野念仏寺

 伝承によれば弘仁2年(811年)、空海が五智山如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬したのに始まるとされ、後に法然が念仏道場を開き、念仏寺となったという。本尊は阿弥陀如来像(寺伝に湛慶作というが実際の作者は不明)、本堂は江戸時代の正徳2年(1712年)に寂道により再建されたもの。境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものである。境内には水子地蔵もあり、地蔵菩薩の縁日には水子供養が行われている。(ウィキペディア「化野念仏寺」より)

 

ここから上がっていくと入り口がある。

化野念仏寺



入り口前から

 

入り口入ったところ。拝観料は500円。

化野念仏寺

化野念仏寺は、何年か前に父と来たことがるはずなのだが。どうも、ちょっとその時の印象と違う。あの時はタクシーで上がっていたのだ。大きな鳥居が合った記憶がある。まわりは、昔からの土産物屋があったような記憶がある。念仏寺内は、石仏がひろくどちらかというと雑然と並んでいるというより置いてあるという感じだった。境内内には線香の煙が漂っていたような記憶がある。曇天ということもあって、しっとりとした雰囲気があり、亡き人をともらう雰囲気があったように思う。

思い違いかもしれないが。きれいに整備されてしまった感じがした。天気が良かったの影響もあるのか、観光地化して、カラッとした雰囲気だった。

前述のように父といった時の記憶にのこっている印象が、私にとってかつての葬送の地である化野念仏寺の印象だ。

 

もしかしたら、違う場所と記憶が混じっているのかもしれない。あの日は曇りで、タクシーで通った道路が違ったのかもしれない。化野念仏寺の少し先に「京都市嵯峨鳥居本町並み保存館」がある。あのときはそこにタクシーが着いてそこから歩いたのかもしれない。

 

本堂からさらに進んで水子地蔵がありさらに進むと竹林の間を歩いて上がることができる。

竹林の階段を上がるとぼちがある。その一角に六面体地蔵がある。仏教の六道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)をそれぞれの地蔵が表しているとのことだった。