散歩

スマホで撮った写真 京都・大阪・和歌山など。

祇王寺 小督(こごう)の旧跡 H291103

子供のころ親に連れられて紅葉の頃京都に行った。紅葉の頃で、木々の葉が紅や黄に色づき。色づいた木々の木漏れ日が苔の上に落ちた紅や黄の葉、そして苔にさしていた。さしていないところと淡く明暗をつくっていた。上の紅と黄と日の光、木の陰、地上には濃淡のある紅と黄と苔の色が広がる情景が印象的だった。子供心にキレイと思った。何十年経った今でも覚えている。

その時落柿舎にもよったようだ。落柿舎のまえに広い田か畑があったのを覚えていた。
ちょうどこんな感じ。落柿舎記憶は合っていた。しかし、落柿舎は記憶にあるような苔はない。瀟洒な茅葺の古民家があり、奥の建物では句会が開かれていた。向井去来が別荘として使っていた草庵のようだ。裏には去来の墓もある。

 

   

 

落柿舎と色づいた苔が記憶の中で混じってしまったようだ。落柿舎には苔があって紅葉の頃には色づいた苔がきれいだとずっと思っていた。それはどうもちがったようだ。今日の散歩の目的は落柿舎から少し歩いたところにある祇王寺祇王寺は、平清盛に翻弄されたといえる女性たちが出家したお寺。明治のころには廃寺になっていたようだが、残された墓や仏像は大覚寺に保存されていた。大覚寺門跡楠玉諦師が再建を計画し、琵琶湖疎水などを推し進めた京都知事だった北垣国道が別荘の一棟を寄附した。これが現在の祇王寺

祇王寺に出家した祇王は清盛の寵愛をうけていたが、清盛の寵愛が仏御前にうつり、祇王は出家もままならず仏御前に仕えさせられるなどつらい境遇にあったが、姉妹の祇女、母の刀自とともになんとか出家することができた。そこが祇王寺。そして、仏御前も祇王の境遇を自らと重ねて世のはかなさを感じ祇王寺に出家した。
まさに平家物語の「祇園精舎の鐘の音盛者必衰の断りを表す・・・」という気持ちだったかもしれない。

なぜか、このことを本で知り一度行ってみたいと思っていた。

祇王寺を歩いているうちに、記憶によみがえってきた。こんな感じだった。苔むした庭、木漏れ日が苔にさし淡い濃淡を出している。昔、親に連れて行ってもらったきれいに色づいた苔のある寺ではないかと思う。

祇王寺には祇王、祇女、刀自、仏御前の墓にならんで平清盛の供養塔もあった。仏間にも4人の像があった。

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まだ少し紅葉に早い。紅葉のころに行けば、記憶のとおりの情景がみれるかもしれない。また、今年中に一度訪れてみたいと思う。

 

   

 

祇王寺の入り口手前に、檀林寺がある。まえは完全に紅葉はしてないがいい色合いで紅葉していた。

 

   

小督の旧跡

祇王と同じように、平清盛により自らの運命を変えられた女性の旧跡が嵯峨野にある。渡月橋を渡り左に曲がり、マンション工事の塀づたいに歩き行列のできるアラビカ京都嵐山店のある角を曲がるとひっそりとある。

平安時代は、嵯峨野は平安京の外にあり、当時は出家したり身を隠す場とされていたのだろう。
「小督局」は美人の誉れ高い女性だった。高倉天皇の寵愛をうけるが、そのときの高倉天皇中宮には平清盛の娘建礼門院がいた。平清盛の怒りをかうの恐れ、小督局は嵯峨野に身を隠したようだ。しかし、高倉天皇の意をうけ小督局を探していた源仲国がこのあたりに来た時、小督の琴の調べを聞きつけ、小督をひそかに高倉天皇の元に戻すが、露見し小督は出家させられてしまい、その後、小督局の消息は分からなくなっている。

ひっそり身を隠そうした小督だが、今、この小督の旧跡の回りは大規模な工事の真っ最中。騒々しいと思っているかな。完成すれば、ひっそりとすることができるだろうか。